「はじめての材料力学」サポートページ > 最近の話題から


最近の話題から

新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原子力発電所事故について(2)
 
 
 新聞報道等によると2007年7月16日のマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震では、柏崎市で震度6強を観測した。稼働していた原子炉3基機は自動で緊急停止し、原子炉・冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は生じなかった。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。施設内部は5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。

 東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されていて、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)で耐震設計時の基準加速度を上回っていた。また、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。

 今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされるが、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。

 確認された放射性物質漏れは下記の通りである。

●6号機の非管理区域で、微量の放射性物質を含む水が漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認された。出された放射性物質の入った水の量は約1.2立方メートルで、放射能量は約90,000ベクレル、濃度では80Bq/L相当である。ちなみにラドン温泉である村杉温泉の源泉は2700Bq/L 、三朝温泉の源泉は9300Bq/Lに相当する[8]。原因として使用済み核燃料プールの放射性物質を含む水が海に漏れたのは、原子炉建屋内の電線を通す管を通り、下の階に流れ出たためであるという。

●7号機の排気筒からは18日夜までの間、放射性ヨウ素の放出が検出された。大気へ放出された放射能量はヨウ素が約3.12億ベクレル、粒子状放射性物質が約200万ベクレルで、これによる線量は1人当たり1000万分の2ミリシーベルトと推定されている。タービンの軸を封じる部分から、復水器内の放射性物質が含まれた空気が排気筒に流れ出たことが原因と考えられている。

 自然状態での通常人の年間被曝量は年間1.0ミリシーベルトから2.4ミリシーベルトと推定されている。日本の法律では一般公衆の線量限度を1年間に1ミリシーベルト以下と定めている。胸のX線写真で1回あたり0.05ミリシーベルトである。

●6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた。当初の分析では活断層が直下まで延びていると考えられた。すなわち、断層は原発に向けて下向きに伸びており、海側に向けて断層が動いたと思われていた。だが、後の国土地理院の分析では逆で、断層が原発の方向に向けて上向きに延びており、直下に達してはいないものの原発のすぐ傍の地表近くまで断層が延びており、原発方向に断層が動いたと分析されている。

●2007年10月21日、新潟県中越沖地震で被災し、点検中の7号機の原子炉建屋2階で、コンクリート壁にひびが入り、放射能をおびた水約6.5リットルがしみ出しているのを、20日午後5時20分頃パトロール中の作業員が発見したと発表。水は幅約0.1ミリ、長さ約3.5メートルのひびから漏れていた。この時点で採取した水からは放射能は検出されなかった。しかし、21日午前6時段階で再採取し検査したところ、250ベクレルの放射能が検出された。
 
 今回の事故では、活断層の存在を認識できなかったことにより、想定外の基準加速度が生じた。多の原発やプルトニウムを扱う再処理工場では、信頼のおける活断層情報に基づいて設計されているのかが問題である。
 
新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原子力発電所事故について(1)
  
 マグニチュード6.8、震度6強の地震により震源地から10km弱にある7基の原発を有する柏崎刈羽原子力発電所で64もの事故が生じた。他の事故と異なる点は、放射能汚染が広がり人体に重大な影響を及ぼし、土地の汚染等が半永久的に続くことである。
 今回は、過去2回の重大な原子力発電所事故について調べてみる。

 スリーマイル島原子力発電所事故は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルバニア州で起こった重大な原子力事故である。原子炉冷却材喪失事故に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故であった。二次冷却水の給水ポンプが故障で停まり蒸気発生器への二次冷却水の供給が滞ったため除熱ができないことになり、一次冷却系を含む炉心の圧力が上昇し加圧器逃し安全弁が開いた。弁が故障し、圧力が下がってもなお弁が開いたままとなり、原子炉冷却材が蒸発した。原子炉は非常用炉心冷却装置が動作したが水位計が蒸気で上がったまま、このため運転員が冷却水過剰と勘違いし、非常用炉心冷却装置は手動で停止した。2時間20分も開きっぱなしになっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部2/3分が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが原子炉圧力容器の底にたまってしまった。
 環境への影響、健康被害は事故の規模の割には多くはないが、放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等250万キュリー)、ヨウ素555GBq(15キュリー)、周辺住民の被曝は0.01〜1ミリシーベルト 程度とされている。21世紀初頭現在もなお原子炉内には広島型原爆数百個分のストロンチウム、セシウム、ヨウ素が残っている。
 
 チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)にソビエト連邦(現 ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が起こした原子力事故である。4号炉はメルトダウンののち爆発し、放射性降下物がウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどを汚染した。事故後の対応の遅れなどが重なり被害が甚大化、広範化し、史上最悪の原子力事故となった。この規模の原発事故は前例がなく、世界の原子力開発で史上最悪の事故といわれている。
 爆発した4号炉は休止中であったが、原子炉が止まった際に備えた実験を行っていたところ、制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。この爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に(推定10t前後)放出された。その放出量は莫大であり、かつて広島に投下された原子爆弾の500倍とも言われている。
 
*炉心溶融(メルトダウン)
 
 原子力発電所などにおいて原子炉が制御不能になり、耐熱限界を上回る高熱により融解、破損することである。想定されている事故の中で最も深刻である。原子炉の大規模な破壊を伴う過酷事故(Severe Accident)である。
 
北陸電力の臨界事故隠し
  
 新聞報道によれば,北陸電力の石川県,志賀原発1号機(沸騰水型,出力54万キロワット)で1999年の定期点検中,原子炉を制御するため挿入していた制御棒3本が外れ,停止していた原子炉が15分間,核分裂が続く臨界状態になっていたことが判明した。緊急停止信号が出たが制御棒は元に戻らず,臨界状態は15分間続き,この間原子炉の制御は不能になった。制御棒を上下させる水圧式の駆動装置の漏水,原子炉の停止機能の性能を確認する特別な試験手順書の誤記のため安全弁がしまっていた。
 
 臨界状態とは燃料の核分裂が連鎖して生ずることである。地球的規模で放射性物質を降らせた旧ソ連のチェルノブイリ原発では異常時に原子炉を自動停止する装置を切ったばかりか多くの運転規則違反が重なって大きな事故になったと言われている。今回の事故は一時的に,大事故に発展する可能性のある原子炉の制御が出来なくなった。当直員の一人が個人的に運転記録のコピーを残していた。この事故の警報音は制御室でしか鳴らず,制御室の4人だけしか臨界状態を知らなかった可能性がある。その後,臨界状態には至らなかったが,制御棒を動かすバルブの操作ミスで制御棒の抜けは女川,浜岡原発,福島原発でも起こっていた。

 技術者の立場あるいは設計者の立場からみると,バルブの操作ミスで制御棒が抜けてしまうのは機構的な問題があったのではないかと思われる。機構の詳細は不明であるが,放射線と水の存在で止め金具が劣化したことも考えられる。いろいろな原発で同種の不具合が起きていたことは設計ミスと言われても仕方がない。

 新聞などで問題になっているのは,重大事故に発展しかねない臨界事故の報告義務があるにもかかわらず,8年間隠していたことである。最近,中国電力や東京電力でのデータ改ざん,原発での海水温度データ改ざん,緊急炉心冷却装置(ECCS)関連ポンプの故障を隠しての定期検査合格,原子炉の緊急停止隠ぺいなど立て続けに不祥事が発生している。北陸電力は記者会見で「作業が夜中の2時とか3時とかで,誰も見ていないよという感覚もあったのではないか」と話していた。新炉着工を控えていたことも隠蔽が行われた心理的要因になったらしい。当直員の一人が個人的に運転記録のコピーを残していたことから,「これではまずい」と感じていたと思われる。

 大きな組織のなかでは,法に反することや義務違反等が行われても,企業の利益優先で上司の判断や命令には「イエスマン」にならざるを得ない環境にあるらしい。上司の命令は,組織の目先の利益のための判断と上司自身の保身もあったとも思われる。役職に関係なく、意見が述べられ、その意見が正当に評価される環境と社会の利益を優先した判断が必要とされる。また、関係者は事故の重大性をどの程度認識していたかも問題である。悲惨なチェルノブイリ原発事故のような事故を二度と起こさないためにも何が問題であったか検討をしていただきたい。運転記録のコピーを残していた当直員も倫理的に相当悩んだと思われる。信頼関係のない組織においては結果的に個々の従業員の十分な能力は発揮されず、結果的に企業の成長も落ちると思われる。このことは、企業ばかりでなくあらゆる組織において当てはまるのではないでしょうか。組織の意識改革が行われないとこの種の事件は無くならないと思われる。

 「自分が運転記録のコピーを残していた当直員の立場であったら」と想像すると複雑な心境です。
  
最近のTVから プロジェクトX 挑戦者達B
ラストファイト 名車を永遠なれ
NHK TV 再放送
 
 38年前,フジスピードウェイ,第3回日本グランプリ,プリンス自動車工業のR380がポルシェ906に勝つまでの物語で,技術者達の新しい技術に対する挑戦を描いたものである。

 飛行機の零戦を設計した技術者達が,日本初の純国産の車の設計製作から究極の車を開発するまでの物語である。
 昭和27年に1500ccの車,プリンスセダンを開発し,30年にスカイラインALSIを開発。名神高速道路計画の発表と共に,各社とも100キロ以上のスピードで走れる車の開発に取り組んだ。
 プリンス自動車工業では,35年DOHC,6気筒,気化器3連装の152PS,180k/hのスカイラインGTを開発した。
 その後,40年,4バルブにオイルポンプとしてスカベンジングポンプを採用し,アルミのボディに,ゴムの燃料タンクを採用して軽量化したレースカーR380,250psを開発し,41年,第3回日本グランプリに他の車を3周追い抜き優勝した。 同年,8月1日,日産と合併。プリンス自動車工業技術者達は日産になってからもスカイラインの中心的な役割をなし,昭和44年,R380のエンジンを積んだスカイライン2000GTを発売し,1970年,第一回,「カーオブジイヤー」に選ばれる。

 47年3月20日,スカイラインは,50勝達成,2年間トップの座を続けた。開発者の信念「発想の跳躍」である。 その後,スカイラインは次々と,他をリードする技術を搭載して発売された。

 この放送を録画したDVDを数名の車好きの学生に見てもらったところ,技術者を志望する者として感激したと話したことからここで紹介することにしました。NHKのホームページには「プロジェクトX」のページがありますのでぜひご覧になって下さい。
 

S48年型
 
S56年型

 

最近の話題から A耐震偽装の問題
  
 ホテルやマンションの構造設計の偽装が問題になっています。材料力学や構造力学を大学時代に学んだ技術者が構造設計の仕事に携わることになります。最近は,コンピュータにより設計する場合が多く,設計条件,材料などを対話式で入力することにより,設計書や図面等が出力される時代になってきました。にもかかわらず,構造計算を専門とする一級建築士は全体の数%と専門家は述べていました。大部分がデザインなどの仕事をする建築士が多いようです。また,コンピュータによる設計は手計算と異なり,ブラックボックスとなる要素を含んでいることとコンピュータの計算は間違いないとの錯覚等が今回,悪用されたこともあると思います。

 強度計算をし,設計している技術者であれば,図面を見ただけで感覚的に安全かどうかわかってくるものです。おそらく,現場の技術者,施工者等は強度不足を疑問に思っていたと思われます。おそらくこのような疑問を持っても,何処にも言うことが出来ない状況にあったと思われます。このような偽装が生じた原因や背景はいずれはっきりすると思われますが,安全性と技術が経済性の名の下に無視されたのは確かです。
 一般に,安全係数を大きくとれば,安全性は増す傾向にありますが,材料費,軽量化,省エネといった経済性は不利になります。安全性・信頼性と経済性はこのように相反するものです。通常,安全性・信頼性が成立する範囲で設計することになります。
 
 このような企業の不祥事を聞くたびに,NHK教育テレビのある講座で講師の方が話しておられた「幸福の三権分立」を思い出します。

 107人の死者を出したJR福知山線の事故, 5 人の死者を出した山形県,JR羽越線の脱線事故がありました。車両は板チョコのようにつぶれていました。安全な車両構造の設計は,軽量化を考慮しますと構造力学的には,かなり難しい問題と思いますが,あのようにつぶれなかったら死者は少なくてすんだものと感じています。

最近の話題から @ シックハウス症候群

 最近,アスベスト(石綿)の健康被害が問題になっています。1986年、旧労働省産業医学総合研究所より、「中皮腫の患者16名中、15人の肺から石綿が検出された」と言う論文が発表されています(デーリー東北2005.8.1)。アスベストの健康に対する影響については,1987,1988年に集中して国から業界に通達が出されていますが,法的な規制がないために使い続けられました。このようなことは他の材料についても同じような状況にあります。

 新建材から放散される有害化学物質が原因で生じるシックハウス症候群については,500万人の患者いる(H12.5.7 朝日新聞)と報告されており,現在の症状や環境ホルモンなど次世代への影響を考えるとアスベストより深刻です。身の回りにいっさいの化学物質をおけない,外出も困難な状態になる、シックハウス症候群で最も深刻な化学物質過敏症の患者は約百万人いると言われています。また、TBSの調べ(2001.1.24)ではシックハウス症候群についての国民の認知度9%であることも問題の解決を困難にしています。

 残念ながら,問題が発生しないと強力な対策がとられないのが現状です。材料力学を学ぶ学生諸君は将来,技術者となることと思われますので,アスベストと同様な問題があると言うことを認識していただきたいことと、製品を製造する側となったとき加害者とならないためにもシックハウス症候群や身の回りの人体に問題のある化学物質について知っていただきたいと思います。現状では、自分の身は情報を得て自分でまもる必要があると思っています。
  
シックハウス症候群について